私译《天声人语》(三)

宝贝儿,等久了吧?老公让你等了这么久,真对不起哦!就是想为我的宝宝呈献一篇更美的小译文。这篇原文写的好美哦,说实话老公真还不很有把握把它原汁原味译出来,怕丢了神韵,不过我也是精心给宝宝译的哦。宝宝,这篇译文只献给你哦!:)亲爱的,以后我教你日语吧。

2009年3月24日(火)付
しゃ ぼん玉を綴(つづ)った先週の小欄に、神奈川県藤沢市の堀祐吉さん(65)から一筆いただいた。娘さんも小4の時にしゃぼん玉を書いたそうだ。長女明子さ んの詩はこう結ばれる。〈だが美しいものは/はかなくわれる/わたしはそれを見まいとする〉▼10歳とは思えぬ張り詰めた感性に驚く。幼時から庭の草花な どを詩に書き留めた明子さんは、高校1年だった88年の夏、水の事故で亡くなった。彼女のことは小欄を含め何度か報じられており、ご存じの方もおられよう ▼ご両親は89年、小3から小4の作品約200編をまとめた詩集『四季の色』を出版し、各地で紹介してきた。19回目の詩集展が、いま兵庫県三田市で開か れている(4月26日まで)▼〈もうさきそうな大きなつぼみも/もっとあったかくなるまでじっとまっている小さなつぼみも/いつかつぼみたくさんが/花た くさんになるだろう〉。「つぼみたくさん」から引いた。咲きかけて静止したつぼみは哀れだが、残された言葉はその一粒に永遠の命を与えた▼父が語る。「娘 は今も自分で歩いています。詩展の前夜は準備で落ち着かないのに、翌朝には明子の世界がそこにある。夜中に来たのかと思うくらいです」。娘が愛した庭は、 間もなく萌(も)える時を迎える。短い言葉がひときわ輝く季節▼わずか35字の景色に心を洗われた。〈富士の後ろに夕やけ空がある/夕やけ空のうしろに/ はてしもなく広い空間がある〉。少女はそのあたりにいるのだろう。消えかけて、消えない。夕空高くとどまる、透明の玉のように。


试译
2009年3月24日(星期二)刊
上周本专栏曾有一篇讲述《肥皂泡泡》(日本著名儿歌)的文章,于是前不久我们收到一封来自于神奈川县藤泽市堀祐吉先生的书信,他告诉我们,他的长女明子在小学四年级时也曾写过一篇关于肥皂泡泡的诗,其间有这样的几句“世间好物不牢坚,令我愀然不忍睹”。

读到这儿,我十分感服这位仅仅十岁少女细腻的感性。从幼年起便以诗句将院子里的花草永恒记载下的小明子却在高一那年、88年的夏天消散在虚无的水泡之间。关于她,本栏也曾多次报道,想必还有能依稀记起她的读者吧。

堀先生夫妇曾于89年将小明子在小学三、四年级之间留下的诗歌约200余篇集成诗集《四季之色》在全国介绍、出版。而今,第19回诗集展正在兵库县三田市召开(截止于4月26日)。

“即将盛放的大大的花骨朵儿和那些悄然暗待春暖来临的小小的花骨朵儿们,这些大大小小的春蕾,总有一天她们会绽放出满园的姹紫嫣红罢。”从这句“大大小小的春蕾”推开去,尚未来得及盛开便归于沉寂的春蕾固然令我们黯然神伤,但她留下的春的诗句却赋予了她永恒的生命。

“我感觉女儿正缓步向我们走来,也会现在她正为诗展前夜的准备而惴惴不安,但明朝,一定是她的世界。我想她一定在今夜便悄然来到。”堀先生这样诉说着。女儿心爱的庭院即将迎来万物萌春的时节,而这一定是个令诗句熠熠生辉的季节。

“巍巍富士山飘渺于晚霞间,被夕阳炙烤得通红的晚霞呦,幻逝在无边无际的大空之巅”。我的心就这样被这仅仅35个字所泼墨出的风景所洗礼。诗的少女就翱翔那里吧,亦幻亦真,飘渺在傍晚、星月点缀的大空,就如同一颗飘飞的晶莹的肥皂泡泡……
发贴者 寝物語 时间: 下午9:38

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